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大阪茨木くぼ整体 院長のプロフィール

院長の久保肇です。私もかつては患者でした。

あなたのお悩みは理解できるつもりです。

私と一緒に完治を目指しませんか?
私の坐骨神経痛体験談
31歳の時に10分~15分座っていると、右太ももからふくらはぎにしびれと痛みを感じるようになりました。

立ち上がれば楽になるのですが、会議などは立ち上がれないのでとても辛いです。

なによりも困ったのは車の運転でした。

目的地までは立ち上がることも出来ず、しびれてくるとアクセルやブレーキ操作を間違わないかとヒヤヒヤしていました。



「これはもう病院に行くしかない」と思い、

自宅近くの整形外科でレントゲン検査を受けて、

「骨が曲がっています。坐骨神経痛です」と診断されました。

当時はMRIは普及していなかったので、よほどの激痛や麻痺で無い限りはレントゲン検査のみでした。

もしあの時MRI検査を受けていたら椎間板ヘルニアと診断されたかもしれません。

医師は「毎日リハビリに通いなさい」と言います。

毎日は無理なので毎週土曜日に、牽引や電気治療などのリハビリを受けました。

5~6回通いましたが一向に良くならなかったです。



病院では治らないと感じ、友人に教えてもらった吹田市のカイロプラクティックにも通いました。

ドロップテーブルという動くベッドを使っての矯正でした。

首や背中をボキボキされるととても気持ちが良いのですが、10回通っても坐骨神経痛は一向に良くなりませんでした。



「どこに行けば治してくれるのか!?」

途方に暮れていました。

今のようにインターネットで調べることの出来る時代ではないのでなおさらでした。

そんな時叔父が「ここへ行けば?」と教えてくれたのが自然良能会という骨盤整体でした。

骨盤整体は今では流行らないボキボキする整体でしたが、初回の施術で坐骨神経痛は消失しました。

「整体って、なんて素晴らしいんだ!」

びっくりして、感動を覚えました。

その後は坐骨神経痛に悩まされることはなくなりましたが、腰の痛みやだるさが慢性化していました。

2週間~3週間に一度の頻度で5~6年通いました。

骨盤整体で教えてもらったゴムチューブを使ったバラコン運動は、それ以来30年間続けています。



自分の感動を他人にも味わってもらえればと思い、整体の勉強を始めました。

今では「整体院」として営業を続けることが出来ることに感謝しています。



現在はインターネット上では星の数ほど整体院や整骨院が検索できますが、

「どこに行けば治るのかよくわからない」という状況は、当時と変わらないかもしれません。

そんな中、ホームページを通してご縁のあった方には、一日も早く治ってもらえるよう精一杯施術をしたいと思っています。
私の略歴

昭和31年大阪府豊中市北条町生まれ。


昭和43年豊中市立小曽根小学校卒業。


昭和46年豊中市立第四中学校卒業。


昭和49年大阪府立池田高等学校卒業。


昭和53年関西大学法学部卒業。


同年より、一部上場繊維商社に勤務。


31歳のときに坐骨神経痛(椎間板ヘルニア?)を患い、整形外科、某有名カイロプラクティックに通うも良くならず。

骨盤整体で1回で良くなり、整体の素晴らしさに感動する。


「自分も治す側になりたい」という気持ちから、会社員を続けながら各種整体の勉強を続ける。


「健友館整体術」を越田昭氏に師事。


平成11年、大阪茨木市で「くぼ整体」を開業。


操体法を「操体バランス協会」に師事。(操体法指導員)


椎間板ヘルニアや坐骨神経痛などの重症者を中心に施術行うなかで、外力での手技療法の限界を悟り、各種「波動エネルギー療法」を身につける。

整体術と波動エネルギーの組み合わせにより、「ボキボキしない」「痛くない」「即効性」の整体を実現。

現在は、整体術に独自の波動エネルギーを加えた施術と頭蓋骨調整で、地域NO1の即効性を目指す。





現在大阪府茨木市在住。 妻と二男との三人暮らし。

長男は既婚。孫が二人。

好きな言葉は、一期一会、臨機応変、義理人情、単純明快

趣味は仕事(あるいは仕事は趣味?)

好きなことは、読書と音楽と酒、神社仏閣巡り、温泉

好きな作家は、司馬遼太郎、山岡宗八、池波正太郎、津本陽、麻生幾その他

好きな音楽は、60~70年代ブルースロック&ブリティッシュハードロックから八代亜紀まで